どうも、佐久間です。
今回は知念実希人さんの小説『神のダイスを見上げて』から
一文を取り上げて感じたことを書いていきます。
全然まとまりがない話ですが、ぜひ最後まで読んでみてください。
まずこの小説は、小惑星が地球に接近している、地球最後の5日間の話。
衝突するかどうかはわからない、この小惑星こそが「神のダイス」。
地球最後の時を「裁きの刻」と称し、世界は混乱を極める中、
主人公の亮は1週間前に姉の殺害現場、死体を目撃。
母親を病気で亡くしてから姉と二人で生きてきた亮の世界は空っぽになった。
そして残り時間が少ない中、犯人への復讐を果たしに行くという物語。
小惑星が衝突したら全てが終わり。
その前に自分の手でけじめをつけたい。
もし衝突しなかったらなんて考えない。
残り時間が少ないかもしれない、最期を悟った人間がどう過ごすか、最期の時をどう迎えるのか。
亮の復讐の行方と最期の時に対する登場人物それぞれの思想に、考えさせられる小説でもあります。
とまぁ、あらすじ的なことを書いたのですが、
僕がここで書きたいことは内容とは全然関係ないです。笑
いや、関係なくもないのですが。
早速ですが、僕が気になったところをご紹介します。
「そう、常に『死』を身近に感じ取りながらも、それに押しつぶされることなく消化した人間。
そこまで行った人間は、なんというか・・・ランクが上がる。良きにしろ悪きにしろ、ね」
P.181
これは相談に乗ってくれた警察官の女性が主人公と会話しているほんの一場面なのですが、
昔からこれを感じることが多いので、やっぱりそうか、と物語とは関係ないところで深く納得していたわけです。
世間で飛び抜けた人とか、身近な人でもいませんか?
一度死にかけたことがあってその後から変わった人。
そういう人って、「自分がいつ死ぬかわからない」というのを他人より実感していて、
だからこそたくさん行動して、どんどん突き抜けていく。
毎日平凡に生きていると生の実感も死の実感もないですよね。
死の実感なんてなくてもやる人はやるけれど。
「死があるから生が輝く」とも言いますよね。
人は絶対、100%死ぬのに、なに毎日平々凡々のんびり生きているんだろうと思ったのです。
別にそれが悪いということでもありませんが。
明日死ぬとしたら、今日死ぬとしたら、何がしたいんだろう。
そもそも、なんでこんな生死についてばかりが目につくのか。
幼少期に母から言われた「人は1回しか生きられない」という言葉が
言われたあの時からずっと頭から離れない。
そんなの大人になっても何度も聞いたし、言ってるし。
小さな頃からそこに執着して、でもイマイチ行動できてない自分がいて、
そのギャップが気になるのか。
人を健康にすることを生業としている自分からすると、
「健康=生死を考えること」だと思っていて。
自分がどう生きたいか、どう死にたいか、
それを踏まえて、今何を選択してどう行動するか。
これを突き詰めて考えた方がいいなと。
まだあまり上手く言語化できないので伝えきれないのがもどかしい。。
だいぶ話が逸れた気がします。笑
とにかく、
自分の「生きる」と「死ぬ」をもっと明確に感じた方がいいということと、
知念さんの小説はどれも面白すぎるというお話でした。
最後までありがとうございました。
ではまた!